フィルムに残る「もう一軒」の時間と甘味の記憶
シャッターを切ったあと、街のネオンが少し落ち着く頃になると、僕らは自然と糖水舖へ向かう。撮影帰りの汗と疲れをまとったまま、テーブルに置かれる一碗の温かい糖水。その湯気は、単なる甘味以上の意味を持っている。香港では食事の終わりがそのまま「もう一軒」の始まりになり、映画やカラオケのあとに集まる場所が、決まって糖水店だ。深夜二時、三時まで灯りの消えない店内には、笑い声と静かな癒しが同居している。
レンズに映るのは、料理だけではない。スプーンを持つ手、語られる日常、そして夜の余白を埋めるこの文化そのものだ。糖水はデザートというより、生活のリズムであり、人と人をつなぐ導線でもある。
体をいたわる甘さと嶺南の知恵と「生磨」の技
香港の糖水には、「医食同源」という感覚が自然に息づいている。春には湿気を祓い、夏には熱を冷まし、秋には肺を潤し、冬には体を温める。例えば緑豆のスープは夏の定番、雪梨の煮込みは乾いた季節に選ばれる。被写体としての一碗一碗には、季節と身体への配慮が重なっている。
そして忘れてはならないのが、職人の基本技術である「生磨」だ。胡麻や杏仁、くるみを時間をかけてすり潰し、なめらかなペースト状に仕上げる。その濃度は、器の縁に静かにとどまるほど。僕はよく、その一瞬をアップで切り取る。光を反射する表面の滑らかさは、単なる美しさではなく、手仕事の積み重ねを語っているからだ。ここには、速さや効率とは別の価値が確かに存在している。
伝統と革新が同居する甘味の進化
香港の糖水文化は、変わらないようでいて絶えず進化している。古くから親しまれてきた紅豆沙や芝麻糊、腐竹入りの白いスープ、そして姜汁撞奶のような繊細な温度管理を要する一品。これらは変わらぬ基盤として今も支持されている。一方で、90年代以降は新しい甘味の波が押し寄せた。マンゴーを使った西米露や、柚子やココナッツミルクを組み合わせた楊枝甘露は、香港そのものを象徴する味となった。
今回の写真【糖不甩】トンバッラッ(ピーナッツ胡麻蜜がけ団子)みたいに、糯米粉で作った柔らかな団子を茹で、濃厚で香ばしい糖蜜をかけ、砕いたピーナッツや胡麻、ココナッツをたっぷりまぶした、至福の一品。レンズ越しに見ると、その素朴さの中に、香港の原点の味が静かに息づいている。
さらに、パンケーキやクリームを取り入れた芒果班戟、日本風のかき氷、西洋のチョコレートデザートなどが交わり、「中西合璧」という言葉が自然に当てはまる風景が広がる。僕が写真に収めるのは、そのミックスカルチャーの最前線だ。ひとつの皿の中に、歴史と未来が同時に存在している。そのコントラストこそが、香港の魅力だと思う。
先に言っておくと、私の本業は写真だ。二十年以上、香港で千を超えるレストランを撮り歩き、皿の上の一瞬の光を追いかけてきた。料理は逃げないが、美味しく見える瞬間は逃げる。だから私はいつも、まるで事件現場を調べる刑事のようにレンズを構える。犯人は光、被害者は影、そして私はその関係を暴く。
そんな私が、ちゃっかり翻訳もやっているのは単に語学が好きだからだ。写真で皿の表情を捕まえるのと同じように、言葉にも“いい角度”がある。中国語と日本語をいじって楽しむのも、結局はその延長線上だ。
このサイトに写真・デザイン・飲食だけでなく、言語の話題まで並ぶのは──まあ、そういう性分ということだ。
