黄金色に揚がった魚団子は、カリッと、内側にはやわらかな湿り気と命の温度が宿っている
香港で生まれ育った僕にとって、街の食卓はいつも物語に満ちている。ある日、油の弾ける音に導かれてシャッターを切ったのが「蜆蚧鯪魚球」だった。黄金色に揚がった魚団子は、まるでこの街の縮図のように、外はカリッと、内側にはやわらかな湿り気と命の温度が宿っている。
写真に収めるたび、丸い形は「円満」を意味する広東の文化を思い出させる。食卓に並ぶその姿は、単なる料理ではなく、人と人の関係、家族の団らん、そしてこの土地に根付いた価値観の象徴でもある。
鯪魚球に込められた手仕事と時間
鯪魚は華南の淡水域で育まれた魚で、その身は繊細でありながら、職人の手によって強い弾力を持つ団子に生まれ変わる。市場で見かける鯪魚を思い出しながら、僕は厨房の奥で行われる丹念な工程に思いを馳せる。骨を取り除き、包丁で叩き、練り上げられる魚の身は、陳皮や葱と一体となり、何度も撻打されて粘りを帯びる。
その質感を写真でどう捉えるかは、いつも僕の課題だ。揚げ油に落とされた瞬間、表面が一気に固まり、内側に旨味を閉じ込める——その決定的な瞬間を逃さないために、僕は光と影のバランスに神経を研ぎ澄ませる。
蜆蚧醤の香りが語る、河と街の記憶
そして、この料理を語る上で欠かせないのが蜆蚧醤だ。泥蜆の滋味と酒の香り、ほんのりとした酸味が混ざり合い、鯪魚の甘みを引き立てる。写真では伝えきれない香りを、どう言葉で補うかを考えるとき、僕はいつも川の流れを思い出す。
珠江デルタの水と共に育まれた素材と技法が、香港という都市に流れ込み、独自の食文化として息づいている。レンズ越しに見えるのは単なる料理ではなく、水辺の生活、移ろう時代、そして受け継がれてきた知恵そのものだ。蜆蚧鯪魚球は、僕にとってシャッターを切るたびに故郷の匂いを運んでくる、大切な存在なのである。
先に言っておくと、私の本業は写真だ。二十年以上、香港で千を超えるレストランを撮り歩き、皿の上の一瞬の光を追いかけてきた。料理は逃げないが、美味しく見える瞬間は逃げる。だから私はいつも、まるで事件現場を調べる刑事のようにレンズを構える。犯人は光、被害者は影、そして私はその関係を暴く。
そんな私が、ちゃっかり翻訳もやっているのは単に語学が好きだからだ。写真で皿の表情を捕まえるのと同じように、言葉にも“いい角度”がある。中国語と日本語をいじって楽しむのも、結局はその延長線上だ。
このサイトに写真・デザイン・飲食だけでなく、言語の話題まで並ぶのは──まあ、そういう性分ということだ。
