飲食業界や食文化を撮り続けていると、料理そのものよりも、その背後にある土地の記憶や人々の営みに惹かれることがある。
今回の写真もそうだ。テーブルの中央に美しく円を描く牛肉、その周囲を囲む牛肉団子や野菜、小皿料理。派手な演出は何ひとつない。それでもシャッターを切った瞬間、潮汕牛肉火鍋という食文化が何世代にもわたって受け継がれてきた理由が、この一枚の中に凝縮されているように感じた。
和牛を使ったすき焼きももちろん好きだ。きめ細かなサシが割り下の中でゆっくりとほどける光景には、日本料理ならではの美しさがある。しかし、それでも私が何度も潮汕牛肉火鍋に惹かれるのは、一頭の牛をここまで徹底的に理解し、食べ尽くそうとする文化があるからだ。
写真の中心にあるのは、牛肉そのものへの敬意
この写真を見返していると、最初に目に入るのはやはり中央の牛肉だ。
潮汕牛肉火鍋の世界では、牛肉は単なる具材ではない。どの部位をどの厚さで切るのか、どの順番で食べるのか、何秒湯にくぐらせるのか。そのすべてに理由がある。
撮影現場で職人の仕事を見ていると、そのことがよく分かる。包丁は筋繊維の向きを読みながら迷いなく動き、肉は部位ごとに異なる表情を見せる。写真に写る一枚一枚の肉の裏側には、長年積み重ねられてきた技術と経験が存在している。
見た目は質素でも、この文化は驚くほど奥深い。
だからこそ私は、潮汕牛肉火鍋を撮るたびに、「食材を主役にする」という最もシンプルで難しいことを改めて考えさせられる。
脖仁から胸口朥まで、一頭の牛を味わう地図
潮汕牛肉火鍋の最大の魅力は、何と言っても牛肉の部位へのこだわりだろう。
例えば脖仁(ボーヤン)は、肩と首のつなぎ目付近にある希少部位で、一頭からわずかしか取れない。きめ細かな脂が入り、柔らかさと上品な旨味を兼ね備えている。
吊龍(ディアオロン)は背中側のロース肉にあたり、潮汕牛肉火鍋を代表する部位のひとつだ。赤身の旨味が濃く、それでいて肉汁も豊富で、多くの人が最初に注文する定番でもある。
匙仁(チーヤン)は肩肉の中心部分で、繊細で柔らかな食感が特徴。匙柄(チービン)はその周辺部分にあたり、ほどよい筋を含むことで、より弾力のある歯ごたえを楽しめる。
そして潮汕牛肉火鍋ならではの存在が三花趾と五花趾だ。
三花趾は前脚の腱肉、五花趾は後脚の腱肉から取られる。切り口には複雑な筋模様が浮かび上がり、噛むたびに独特の弾力と旨味が広がる。私はこうした部位を接写で撮るのが好きだ。肉の模様そのものが、一枚の抽象画のように見える瞬間がある。
そして初めて見る人が必ず驚くのが胸口朥(ションハウロー)だ。
見た目は白い脂身そのものだが、実際には牛の胸部にある脂肪と結合組織の層で構成されている。長めに火を通しても溶け切らず、独特のコリコリとした食感が残る。初めて食べたときの意外性は、今でもよく覚えている。
潮汕牛肉火鍋を食べる楽しさは、単に「美味しい牛肉」を味わうことではない。一頭の牛の中にどれほど多彩な個性があるのかを知る体験でもあるのだ。
シャッターの向こうに残したいもの
この写真には牛肉だけでなく、牛肉団子や野菜、小皿料理も写っている。
主役ではないかもしれないが、こうした存在があることで食卓は完成する。潮汕の老舗店を訪れると、豪華な内装よりも、こうした何気ない一皿一皿に目が向くことが多い。
私が料理写真を撮る理由も、単に美味しそうに見せるためではない。
食べ物を通して、その土地の文化や職人の技術、人々の価値観を残したいからだ。
この一枚の牛肉を眺めていると、早朝から牛肉を捌く職人の姿が浮かび、部位ごとの違いを語り合う食客たちの声が聞こえてくるような気がする。
潮汕牛肉火鍋の魅力は、決して高級感や流行だけではない。
一頭の牛と真剣に向き合い、その価値を余すことなく引き出そうとする人々の知恵と情熱。その積み重ねこそが、私が何度もレンズを向けたくなる、本当の理由なのだ。
先に言っておくと、私の本業は写真だ。二十年以上、香港で千を超えるレストランを撮り歩き、皿の上の一瞬の光を追いかけてきた。料理は逃げないが、美味しく見える瞬間は逃げる。だから私はいつも、まるで事件現場を調べる刑事のようにレンズを構える。犯人は光、被害者は影、そして私はその関係を暴く。
そんな私が、ちゃっかり翻訳もやっているのは単に語学が好きだからだ。写真で皿の表情を捕まえるのと同じように、言葉にも“いい角度”がある。中国語と日本語をいじって楽しむのも、結局はその延長線上だ。
このサイトに写真・デザイン・飲食だけでなく、言語の話題まで並ぶのは──まあ、そういう性分ということだ。
