にんにく蒸し牡蠣。疲れた体が求める、湯気の立つ一皿
一日の仕事を終えて街へ出ると、香港の夜はまだ眠る気配を見せない。店の明かり、行き交う人々の声、路上に漂う料理の匂い。それらに包まれて歩いているうちに、疲れていたはずの体が、もう少しだけこの夜を楽しみたいと言い始める。そんなとき、私は「にんにく蒸し牡蠣」が食べたくなる。ふっくらとした牡蠣の上に刻みにんにくが重なり、殻の中には海の旨味を含んだ熱い汁がたまっている。
仕事で使い切った力を取り戻し、明日へ向かう元気を蓄えたい夜に、これほど頼もしく見える料理はない。香港で生まれ育った写真家としてシャッターを切るとき、私は料理の姿だけでなく、その一皿を必要としている人の疲れや期待までも写したいと思っている。
にんにくの香りが、夜の気分を目覚めさせる
蒸籠の蓋が開いた瞬間、白い湯気とともに濃厚なにんにくの香りが広がる。それだけで、長い勤務時間のあとに沈んでいた気持ちが、少しずつ目を覚ましていく。広東料理では、牡蠣の柔らかさと自然な甘みを生かすため、火を入れすぎず、短い時間で蒸し上げる。そこに、生のにんにくが持つ鮮烈な香りと、油で黄金色に仕上げたにんにくの香ばしさを重ねることで、力強くも奥行きのある味が生まれる。
牡蠣を口へ運べば、海の濃厚な旨味ににんにくの刺激が加わり、体の内側へ温かさが広がっていく。精をつけたいという言葉は、必ずしも特別なことではない。
香港人にとってそれは、忙しい毎日の中で失った活力を食事によって取り戻し、再び前を向くための、ごく自然な感覚なのだと思う。
仕事終わりの宵夜が、明日への力になる
香港の宵夜は、空腹を満たすだけの食事ではない。仕事を終えた仲間とテーブルを囲み、その日にあったことを話しながら、疲れをゆっくり夜の中へ逃がしていく時間である。にんにく蒸し牡蠣が運ばれてくると、誰かが殻を手に取り、熱いと言いながら笑う。ビールのグラスが触れ合い、広東語の会話が重なり、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
牡蠣を食べ終えたあと、殻に残った旨味の濃い汁まで飲み干せば、明日もまた頑張れそうな気がしてくる。私が写真に残したいのは、まさにその瞬間だ。華やかなごちそうではなくても、仕事を終えた人の体と心を温め、もう一度力を与えてくれる一皿がある。変わり続ける香港の夜において、「仕事が終わったら、精をつけるためにこれを食べたい」と思わせるにんにく蒸し牡蠣は、今も人々の日常を静かに支えている。
先に言っておくと、私の本業は写真だ。二十年以上、香港で千を超えるレストランを撮り歩き、皿の上の一瞬の光を追いかけてきた。料理は逃げないが、美味しく見える瞬間は逃げる。だから私はいつも、まるで事件現場を調べる刑事のようにレンズを構える。犯人は光、被害者は影、そして私はその関係を暴く。
そんな私が、ちゃっかり翻訳もやっているのは単に語学が好きだからだ。写真で皿の表情を捕まえるのと同じように、言葉にも“いい角度”がある。中国語と日本語をいじって楽しむのも、結局はその延長線上だ。
このサイトに写真・デザイン・飲食だけでなく、言語の話題まで並ぶのは──まあ、そういう性分ということだ。
